みなさん、こんにちは。たより編集部です。
今回は、ある子どもの声をみなさんにお届けします。これは現役で不登校をしている中学生の男の子が書いた文章です。
私たち大人への、社会へのメッセージです。どうぞじっくりとご覧ください。
不登校を経験して感じた「教育とは」
教育とは食品だ。
食品は鮮度が命。鮮度が落ちれば栄養がなくなり、誰も口にしなくなる。
戦後焼け野原になってから、アメリカが日本を扱いやすくするための教育が学校教育だと思う。だから扱いやすい人を作るために、同じ時間にみんなが同じことをし、同じペースで、同じ勉強をする。何十年もたっているのに、学校の基本的な教育は何も変わってない。
何十年も変わらない味の食品を、もう何の栄養もないのに無料で配給されるからと、何も考えずに食べ続けている。
でも、その食品に栄養がないとみんなも気付き始めている。でもみんなが食べているからと食べ続ける。ただ、この食品にはもう栄養がないと気付き口にしない人がいる。
それが不登校だ。
口にしなければお腹が空く。お腹が空くと他の人は、「これを食べればいい」と言ってくる。それを我慢して食べる人もいるが、いずれ口にしなくなり、その食品に見向きもしなくなる。
お腹が空けば自分で食品を探しに行く。自分で食品がある場所を探して、どうやったら採れるが考えて、どうやったら栄養が増えるか試行錯誤して、自分で食品を手に入れる。
それが自立だ。
食品は変化する。その時代に合わせた味付けや、他の国の味付けもされたりする。
何も変わっていない学校の教育にもう栄養はない。決まったことをするのではなく、自分で何を学ぶか決めて、自分のペースで学んでいく。これからはそういう時代だ。
むしろ学校の教育はよく持ったほうだと思う。今学校に行けないからと悩むことはない。学ぶことがないから行かないだけだ。
何も変化してない食品はそのうち見向きもされなくなる。今は不登校だと言われているが先駆者なだけで、いつか時代が追い付いてくる。学校に行けないからと言って自分を責める必要はないし、自信を持つことができないのであれば、まだ道はあるということを覚えていてほしいと思う。
自分は不登校だったからと表立って活動はしない。でもいつか同じことで悩んでいる人がいたら、自分の経験を話したいと思う。
親や教育する人たちは、悪い方向ばかりでとらえるのではなく、一つでも良いところを見つけ褒めることが大切だ。
例えば、目標はあるが行動できない、と捉えるのではなく、目標を立てることが出来たととらえることが次につながる。
立ち止まっているのはサボっているわけではなく、次へ進む準備をしている。だから責めずに待っていてほしい。
相談したときは甘えと捉えるのではなく、独りで抱え込まずに他人に頼ることができたと喜んでほしい。
独りで抱え込むから不安になり動けなくなるので、その時はすぐに相談にのってほしい。まずは否定するのではなく、しっかりと受け止めて、すぐ相談に乗れないときは時間をちゃんと作る約束をしてあげてほしい。
おわりに
みなさん、この文章を読んでみてどのように感じられましたか? それぞれに感じることがあったのではないでしょうか。
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