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不登校離職体験記#01_不登校離職は終わりじゃなかった。母として、働く人としての再出発

不登校離職体験記01_サムネ

 はじめまして。私は株式会社ファンテクノロジーで情報システムと事業推進の仕事をしています。社内のパソコンやアカウント管理、ホームページの修正、SNSの更新など、WEB、パソコンまわりのなんでも屋さんみたいなことをやっています。

 家族は、中学3年の娘と中学1年の息子、実家の母と妹の5人暮らしです。息子には発達障害があり、ふたりとも一度不登校を経験しました。実は私自身も小中学生の頃、不登校でした。

 今の仕事に就く前の私は、介護の仕事を9年続けていて、「私には介護しかできない」「お母さんなんだから頑張らなきゃ」と、自分を追い詰めていました。子どもが不登校になり、離婚も重なり、正直どん底だったと思います。

 そこから「不登校離職」をして、キャリアコンサルタントとの出会いがあったおかげで、環境を変えながら今の働き方にたどり着きました。同じように悩んでいる方に、少しでも安心やヒントが届けばと思い、私のことをお話しします。

発達特性のある息子の保育園行き渋り

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 息子は小学校入学前、通っていた保育園に行き渋ることがありました。先生に「手に負えない」と言われたこともあります。そんな日々のやり取りの中で「この保育園はこの子に合わないんだろうな」と感じ、少人数の私立保育園に転園することにしました。すると、息子は体操もダンスも楽しむようになり、行き渋る事無く登園。友達とも仲良く過ごして、「この子、なんでもできるじゃん」と思ったのをよく覚えています。

 息子には発達に特性があり、以前の園生活ではお友達とのトラブルや困り事があったかもしれません。でも転園した園では、お迎えに行っても「帰りたくない」「先生といたい」という様子で、本当にその園と先生方には感謝しかありません。

 小学校では特別支援学級に在籍しました。特別支援学校も検討しましたが、診断の基準や、元夫の「うちの子は普通だ」という思いもあり、普通校の支援級という形になりました。

 私は、私自身の妹にも障がいがあったこともあって、「そういう子もいるよね」「私の子はこういう子なんだな」と比較的すんなり受け止めていましたが、同じ家庭の中でも受け止め方が違うことに、難しさも感じていました。

コロナ禍をきっかけに始まった「なんで学校に行く必要があるの?」

 小1のころの息子は10分も椅子に座っていられず、授業中はよく歩き回っていたそうです。支援級の先生や指導員の先生がついて回ってくれて、なんとか通えていました。

 状況が一気に変わったのは、コロナ禍です。休校で「学校に行かない」のが当たり前になったあと、登校が再開しても、娘も息子も「なんで行く必要があるの?」「家でも勉強できるのに」と感じるようになり、2人とも不登校になりました。

 私は自分も不登校だったので、「なんとなく嫌」「行きたくない」という気持ちを言葉にする難しさはよくわかります。理由を聞いても、子どもたちはまだ言語化できませんでした。「そっか、なんか行きたくないんだね」と受け止めて、「じゃあ学校に行かないなら、家で勉強や家事をやろう」と伝えました。

 一方で、学校とのやり取りは大きな負担でした。毎朝「今日も行きたくないみたいです」と電話すると「なぜ行きたくないのか」と問われますし、午後には「今日1日はどう過ごしましたか」と聞かれます。仕事に行く前や合間の電話でそれに答えるのは、正直しんどかったです。

不登校ワンオペ育児と過重労働

  その頃、私は訪問介護の仕事をしていました。障害福祉の現場で、対応が難しい利用者さんを、ひとりで2時間担当することもありました。夜勤では高齢者のケアもあり、休みは週1日と夜勤明けの半日だけ。子どもを夜勤に連れて行き、利用者さんのケアと子どもの相手を同時にすることもありました。ワンオペの育児不登校夜勤介護という仕事。人の命を預かる仕事に、誇りや生きがいを感じていましたが、身体は限界に近かったかもしれません。

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 周りの人からは「なんでそんなに頑張るの?」「それで壊れないの?」と言われていましたが、自分では壊れる感覚がよくわからなくて、「これくらい大丈夫でしょ」と、仕事も子どものことも全部、ひとりで抱え込んでいました。オンコールの電話が鳴るたびに体が緊張して、家でもいつもピリピリしていました。

 今思えば、子どもたちはきっとそれを感じていて、「ママ、忙しそうだから」「怒っていそうだから」と、自分の気持ちを我慢していたんだろうなと思います。

「助けてもらっていいんだよ」の一言にハッとした

 そんなとき、同僚があるキャリアコンサルタントを紹介してくれました。私が「あまりにも絶望的な顔をしていたから」だそうです。

 この頃、私は不登校の子ども2人、夫は体調を崩し無職、自分は責任の重い介護の仕事をしているという状態で、心も体もボロボロでした。最初にそのキャリコンの方に言われた言葉は「そんなに頑張る必要ある?」でした。

 キャリアコンサルタントの「サポートしてくれるところ、いろいろあるよ」「助けてもらっていいんだよ」と仰る言葉にそのとき初めて、「あ、助けてもらっていいんだ」と知りました。それまでは、人に頼るという発想がほとんどなかったんです。

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 そこから私は、不登校の子どもへのサポートや子育て支援、障害福祉のサービスなどを自分で調べて、「使えるものは全部使おう」と決めました。病院の先生や相談員さんにもたくさん話を聞いてもらいました。そうやって環境を整えていく中で、「じゃあ、この働き方を続ける意味って何だろう?」という疑念が大きくなっていきました。

覚悟を決めたおかげで見つけた小さな光

 もちろん離職は怖かったです。私自身、小さい頃から母に「お前は何もできない」と言われてきたこともあり、自己肯定感はとても低かったと思います。それでも「ここまで来たら、最悪なところまで落ちても大丈夫だな」と覚悟しました。介護の資格があるので、仕事を選ばず、本気でやろうと思えば、仕事はいつでも見つけられます。

 当時35歳という年齢もあり、「今きっちり自分と子どものことを考えて働き方を選び直さないと後悔する」と正社員を辞めパート勤務に切り替え、失業保険を活用しながら、ほぼ1年かけて転職活動をしました。その間に、ホームページ作成の職業訓練(オンライン)も受けました。

 実は私は、小中学生の頃からパソコンが大好きで、ホームページを作ったり、絵を描いて本を作って売ったりしていました。パソコン関係の仕事をしているおじさんがいて、家にはいつも新しいパソコンがありました。実は私自身も不登校経験者なのですが、当時の私は学校に行かない代わりに、ずっとパソコンをいじっていたんです。

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 でもそれを「特別なこと」だとは思っていませんでした。「みんなやってるでしょ」と。母や元夫から「何もできない」と言われてきたこともあり、「私は何もできないから、とりあえずできること(介護)をやる」という感覚で働いていました。キャリアコンサルタントとの面談で「できること、全部書き出してみて」と言われて

 「パソコンができる」
 「ホームページを作れる」
 「絵を描ける」
 「小説を書ける」
 「本を作れる」

と書いたら、「何でもできるじゃん」と。

 「それ、できることに入れていいんですね?」と聞いたら、「当たり前でしょ」と言われて。そのとき「私、本当に何もできないわけじゃないんだ」と、胸の奥に小さな光が灯ったような感覚がありました。

わたしの在り方を受け入れてくれた企業との出会い

 今働いている株式会社ファンテクノロジーとの出会いは、キャリアコンサルタントの紹介によるものでした。一度はタイミングが合わず採用は見送りになりましたが、業務委託という形で制作物の仕事を任せてもらいました。その後改めて「社員として働きませんか」と声をかけていただいたんです。

 転職活動では、私は「完全在宅」「9時〜15時の時短」「社会保険に入れる範囲のパート」という希望をはっきり伝えました。お給料よりも、働き方を大事にしたかったからです。今の会社ではその希望を、そのまま受け入れてもらえました。柔軟に対応してくださって、本当にありがたかったです。

子どもたちは、家を引っ越した後、自分のペースで学校と向き合うようになりました。

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 現在私はパートから正社員になり、出社する機会も少し増えましたが、基本は変わらず時短勤務です。子どもたちは家事スキルが高く、自分たちでご飯を作り、洗濯や皿洗いも分担してくれます。

 「学校に行かないで勉強もしないなら、家事くらいできないと生きていけないよ」と伝えてきたので、いつのまにか家事がある程度出来るようになっていました。

 私は、職場でも子どもの不登校や発達障害のことを最初から隠さずに話しています。「悪いことをしているわけじゃないし、これは子どもたちの選択。恥ずかしいことではない」と思っているからです。リモート会議中に子どもの声が入っても、「不登校なんです」と普通に言えるほうが、私にとっては楽なんです。職場でもそれを受け入れてもらえています。

わたしが楽しく生きることが、子どもに良い影響を与えた

 働き方が変わってから、家の雰囲気は本当に変わりました。以前の私は、オンコールの電話にビクッとしたりピリピリしたりしていましたが、今は仕事も余暇も、人と話すことも楽しめています。子どもたちは「ママがやっていること、楽しそう」「私もやりたい」と言ってくれて、笑顔の質が全然違うなと感じます。

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娘は悩みをよく相談してくれるようになり、言葉での表現が苦手な息子も、何かあれば自分の言葉で伝えてくれるようになりました。思春期の2人から頼ってもらえることが、今の私の大きな喜びです。

 数年前の私は、「何もできない」「介護しかできない」と思い込み、まわりから見れば異常な働き方を、当たり前だと思って、壊れかけていました。それが今、「社会に必要とされる仕事が好き」と思え、今回のインタビューのお話にも「やってみよう」と言えるくらいまで回復しました。そして、好きと得意を活かしてやりがいを感じられる現在の仕事に携われることに喜びを感じています。「理想の働き方と子どもとの時間」という自分にとって譲れない大切にしたいことを諦めずに、求めてきてよかったと思います。

子育てと仕事の両立になやむ保護者のみなさんへ

 最後に、今まさに子どもの不登校や仕事との両立で悩んでいるお母さん・お父さんに伝えたいことがあります。

 やっぱり「一人で悩むことはしないでほしい」です。

 お母さんが悪いわけじゃなくて、「今の環境」があっていないだけのことも多いと思います。環境は、変えられます。自分だけで全部抱え込まず、病院の先生や相談員さん、友人、民間団体さんの相談窓口など、誰かに話してみてほしいです。誰かに話すことで、「こういうサービスもあるよ」「こういう働き方もあるよ」と教えてもらえることがあります。その中で、仕事を辞めるのか続けるのか、どう働くのか、少しずつ見えてくるはずです。

 不登校も離職も「終わり」ではありません。私にとっては、環境を変えて、自分と子どもたちに合う生き方を探すスタートでした。

 どうか、一人で抱え込まないでください。助けてくれる人は、ちゃんといます。

株式会社ファンテクノロジー代表よりメッセージ

株式会社ファンテクノロジー

 当社は機械、IT、電気電子の分野で様々な業界の企画、研究、設計開発、製造及び販売を行う専門エンジニアリングベンチャー企業です。

 当社の社名は第一に社員が会社のFANであり、お客様にも『熱烈なFAN』になってもらえる魅力ある技術会社であり続けるよう強い信念のもと社名にFANを掲げ、事業を通して社会に貢献して参ります。

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