みなさん、こんにちは。たより編集部です。
今回は、お母さんお父さんから届いた手記をご覧ください。
「子どもが不登校になった」
そんな”まさか”の出来事にでくわし
様々な苦労を経験してきた
お母さんお父さんが全国に大勢います。
時間を経て、多くの人と出会い
様々なことを学び、感じてきたからこそ
伝えたいことがある。
そんな先輩たちの手記です。
1人でも多くの、今も悩むお母さんお父さんに届きますように。
そして微かでもいい。
みなさんの心に、安心や希望が宿りますように。
Oさん(お母さん) /栃木県栃木市・子ども2人(男子、男子)
我が家は小5長男、小2次男で、今はそれぞれが自分で選んだ距離感で学校と関わっています。
小5長男は、フリースクールに週4日(火曜~金曜)通い、フリースクールのない月曜日は自宅で過ごしています。週1で卓球の習い事にも行っています。
幸運にもフリースクールでは気の合う仲間ができ、自分から行きたがる、安心できる場所です。車で片道40分、往復1時間半ですが主人と交代で送迎しています。
月謝は安くはありませんが本人の行きたいという気持ちをサポートしていきたいという気持ちでいます。
長男は自分の納得のいかないことはやりたがりませんが、好きなことには集中して取り組むタイプの子。小3の1学期連休明けから学校に行き渋るようになりました。
クラス替えで仲良しの友達とクラスが離れ、担任が新卒の先生となり環境の変化もありましたが、4月は頑張って通っていました。
連休明け「頭が痛い」「お腹が痛い」と言って
頻繁に休みたいというようになりました。
学校での様子を本人に聞くと
当初は
「授業がつまらない」
「隣のクラスの先生の怒鳴り声が嫌だ」
「教室がつまらない」
とは言っていましたが
親としても「学校に行ってしまえば楽しいのではないか」行ける日だけでも、好きな授業だけでも、先生と放課後話をするだけでも、1時間目だけでも」と登校を促していました。
エネルギーが切れている状態なのに更に頑張らせていました。
今思えば、本人の事を考えてより、親の自分が安心を得たかっただけかもしれません。
当初、担任の先生は嫌ではない、というので放課後登校を何度かしました。
担任の先生は
「いつ登校できる?先生と約束しよう」
熱心に一方的にお話をされていました。
本人はその場では「わかった」と返事をするのですが、その約束は守ることは難しく、1学期の終業式には担任の先生と会うことも拒否するようになりました。
その後、小3の2学期からは担任の先生と会おうともしませんでした。
先生は指示や命令怒ってばかりで、話を聞いてくれない
と言っていました。
後になって話してくれたことですが、教室に同じクラスの児童から授業中に陰口を言われたり、休み時間に自分の興味のない話をしつこく話しかけられたりしてとても嫌だったと言っていました。
いじめを受けたという認識で、担任の先生もお伝えし、クラスの児童に話をするなどの対応をしてくださいました。
ですが、本人が教室に戻ってみようと思うまでは至りませんでした。
今も安心できる特定の友達とは時々遊ぶことはできていますが、不特定の同じ小学校の児童に会うことを警戒して市内のお祭りや図書館などには出かけたがりません。
「先生は話をきいてくれない」を聞いて感じたこと
母として近くで様子を見ていて感じたことですが、当時の新任の先生は指導熱心なあまり、息子に多くの情報を伝えようとし、一生懸命励まそうとして下さいました。
その熱意に反比例して、息子から発せられる言葉はどんどん少なくなっていったように思います。先生は9割話し、息子は1割も話せていませんでした。
焦らずじっくり本人のペースに合わせてもらえたら有り難いと思いました。
また、息子に対して「みんな待ってるよ、いつなら来られそう?」など先生からの言葉も正論ではありますが、学校に行くことができていない自分を責めている繊細な息子にとっては、さらに「責められている」と感じてしまったのではないかと思いました。
そういう私も、勝手な価値観で余計な心配ばかりして、たくさん正論を息子に伝え、傷つけてしまっただろうと今は反省しています。
小2次男は、小1の1学期は頑張って登校していましたが、夏休み明け、始業式は行きましたが、翌週から学校に行かないと言い、朝食を全く食べない日が続きました。
学校に行かない選択をしている兄を見ていたというところもあり、本人も繊細なタイプで、上手く言えないことも多くあったのかもしれません。
学校は疲れる
クラスの友達の視線が痛い
友達から呼びかけられる声が辛い
と言い、休むようになってからは過敏さが増したようでした。保育園のころから、自分ではなく友達が叱られているだけでも必要以上に傷ついてしまうような子でした。
3週間弱しっかり家で休んだところ、「工作をしたい」など少し前向きな言葉が出てきたので、本人の意思を尊重しながら、放課後登校から別室登校を週3日程度母の付き添いで行っていきました。
ただ、別室は他の児童の出入りがあり、担任の先生も大変忙しく対応は難しかったため、落ち着かない環境と感じたのか、1月中旬からはあまり行きたがらなくなってきました。
私も今年度5月までは仕事をしていて、我が子に付き添うために有給休暇、介護休暇を使い切り、仕事が継続できるかどうかいろいろ考えましたが方法は見つからず。
次男は一人での留守番にはとても不安を感じていて食べ物が飲み込めないという身体症状にも出てきたので、いったん退職。次男も安心したのか身体症状は治まりました。
昨年度までは、母と一緒でないと学校に来られない状況でしたが、今は、週1時間ではありますが、ことばの教室で先生と一対一で学ぶようになりました。
また、学校外の居場所として、体を動かすことが好きなので、スポーツ系の放課後等デイサービスも日中活用しています。別室登校も少しは行ってみるというので、週1~2日程度学習したプリントを置きに行ったり、先生がプリントに描いてくださったクイズに答えたりしています。
学校が繊細な子にとって安心な場所であるために
長男も「隣の先生の怒鳴り声が嫌だった」と言っていました。児童のためを思っての熱心な指導は、場合によっては繊細な児童にとって不安感が増し、自分も一歩間違えば叱られるという怯えから、安心安全な居場所ではなくなるのではないかと思いました。
また、集団な苦手な次男のような子どもにとって、学校内で落ち着いていられる居場所があれば、児童の気持ちを理解した上でじっくり接してくれる教員がいてくれたら、母から離れても校内で安心して過ごすことができるのではないかと思いました。
もちろん人的要因、教室数などの物理的要因は学校によって様々だと思いますが。
保護者は自分をとても責めているということ
保護者は”旗当番”が回ってきます。笑顔で元気に子ども達に挨拶しますが、自分の息子のいない登校班を見送るのは実はとても苦しくなり、時々頭痛で眠れなくなります。
どうしてだろうと考えると、やはり心の中では「我が子にも学校に行ってほしい」という気持ちがあり、学校に行っている子と自分の子どもを無意識に比べてしまっているのかもしれません。
もちろん「学校に行っても行かなくても自分の子どもの価値は変わらない」と心から思っていますし、「我が子にとって一番過ごしやすい良い居場所を」と学校に行かない選択を受け入れているとも思っています。
しかしまだまだブレて不安になる事もあり、気持ちに波があります。
そういう時は、ひつじカフェ(親の会)で学んだり、親の会に参加して話を聴いたり、話に共感していただいたりすることで、ずいぶん気持ちが楽になります。
私も親として修業は足りませんが、学校の先生方にもこのような保護者の気持ちに寄り添って頂けたらどれほど有難いことかと思っています。
記事協力:コドモノミカタねっとわーく
手記を募集しています
最後までご覧いただき、ありがとうございます。
どのように感じられたでしょうか。
みなさんの中に、子どもの不登校に悩む全国の保護者の方へメッセージを届けたいという方はいませんか?
よければ、力を貸してください。
一番つらいのはひとりぼっちでいるとき。
身近に誰も味方がいないとき。
誰も理解してくれる人がいないとき。
でもそんな状況でも、こうした全国の経験者がメッセージを届けてくれたら。
それはひとりぼっちの”そのひと”にとって、大きな大きな希望になると思います。
我慢していた涙を流すことができるかもしれません。
「もう少しやってみよう」と一歩踏み出すきっかけになるかもしれません。
「わたし、よく頑張ったよね」と自分を許すことができるかもしれません。
子どもの表情に目を向けることができるようになるかもしれません。
ぜひみなさんの力を貸してください。
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