みなさん、こんにちは。たより編集部です。
今回は、お母さんお父さんから届いた手記をご覧ください。
「子どもが不登校になった」
そんな”まさか”の出来事にでくわし、様々な苦労を経験してきたお母さんお父さんが全国に大勢います。
時間を経て、多くの人と出会い、様々なことを学び、感じてきたからこそ伝えたいことがある。
そんな先輩たちの手記です。
1人でも多くの、今も悩むお母さんお父さんに届きますように。
そして微かでもいい。
みなさんの心に、安心や希望が宿りますように。
Sさん(お母さん) /栃木県野木町・子ども2人(男子、男子)
現在 22 歳の次男は、小学生の頃から感受性が強く、小学1年生の担任と合わず朝は行き渋り
が多くありました。
車で送ると、泣き叫ぶ中、先生 4 人で手足を持って保健室に運び込み、落ち着いたら教室に行くような日が続きました。
私も泣きながら帰り、途方に暮れながらもそれでも学校に行かせることしか考えられなかった 2 年間は教頭先生の見守りが次男を支えていました。
小学3年以降は担任に恵まれ、徐々に自分らしさを見せてくれて、高学年ではこだわりは強いながらも好きなこと(ロボット作り)を楽しむようになりました。
中学に入り、クラスではまだ馴染みきれないながらも吹奏楽部で頑張っていました。でもクラスのいじめで友人たちが不登校になり始め
教室の空気が灰色から黒になった。息が苦しい。
と言うようになりました。
夏休みから時々倒れるようになり、
9月に起立性調節障害(以下、OD)の症状(朝、体が動かない、起きられない、胸が痛い)が出て全く動けなくなりました。心身ともに限界が来たのです。誰も頼れる先生がいなくて親子共に一番つらかった時期でした。
闘うこと 9 年。
OD は 5 年が回復の目安(内臓の成長が体の成長に追い付く時間)と言われていて、今は自分の体調がわかるのでその都度判断しながら、生活しています。少しずつ体力もついてきました。(176cm,47kgですが・・・)
高校時代は、通信制高校でプログラミングを学び、さらにプロ
グラミングスクールにも通い、ゲーム制作に夢中でした。
趣味のドラムもレッスンに行き、親子で市民吹奏楽団にも所属しました。全て午後からの活動でした。高校の入学式で「通信制で自由な時間がある君たちにしか出来ない体験をいっぱいしてほしい」と励ましてもらったことを実行していました。
ODも6年目になると
「孤独に飽きた。リアルに学校生活をして友達を作りたい。」
と言って都内のゲームの専門学校に進学し、友人も出来て、2年間朝から通学した事には驚かされました。
ただコロナ禍で活動に制限があった事は本当に悔しそうでした。
就活するも自分には無理と言って今は自宅でゲーム制作をしています。何事も自分の意思を貫くタイプです。
息子がここまで生きてくれて「あ〜すごく頑張ってるな〜」と今もこの瞬間も思えて、愛おしくて嬉しくて応援したくなります。
最近は自立心が見え、私は大人としてどこまで手を出していいのかその距離感がつかめずちょっと悩んでいます。
これまでの間、いろいろな方に助けられ、救われてきました。
ODについては発症から診断まで4ヶ月かかり、4箇所目の小山市民病院の先生が救ってくれました。
「今まで10出来たことが3しか出来ないかもしれないけど、選んだ3なら出来ると思ってね。」
と息子の手を握り話してくれました。
OD診断後、都内の「ODの会」に参加しました。
初めての私に、先輩ママの
「わかるわかる。」
「うちもそうだよ。」
「思い切り泣いていいんだよ。」
「お母さんがまずは元気になろう。自分のエゴは捨てて、子どもがどうしたいのか? それはお母さんがして欲しいこととは別なんだよ。子どもの気持ちに寄り添って。」
「ゆっくりね。」
などなど、号泣しながら今までの子育て&自分を変えるきっかけになった時間でした。
そこでの情報と資料をもとに、中2ではODのことを教職員とクラスメイトに向けても文章で伝えたことで周りが受け止めてくれました。ほぼ放課後登校で、部活では迷惑をかけましたが、支えてもらえて最後まで参加できたことに今も感謝しています。
また、「立志式も修学旅行も行きたい」という気持ちを叶えたいと交渉し、午後から私が連れて行き、現地で先生にお願いし、翌日も起きるのを待ってみんなのいる所に合流し参加して、帰りはまた連れて帰るという「ODあるある」をやりました。
できない、前例がないと諦めるのでなく、どうしたら行けるかを学校側に具体案を伝え、妥
協点を見つければ可能になることもあります。
親の責任、学校の責任の範囲を明確にし、不登校の親同士で連携して、同行したので心強かったです。(あくまでも補助役として、顔を出さず隠れて様子を見守ってました。)
3年の9月からやっと特別支援学級(ODでは入れないため違う診断書を提出)に入れて2年ぶりの給食も数回食べました。「今から行きます」の LINE を送ると昇降口で手を広げて迎えてくれる支援学級の先生のおかげでした。
一つ言えるのは、話すことって大切だと思いました。同じ想いを共有できる仲間がいること、
孤独にならないこと。親子共にそこは恵まれました。
息子が4歳から会員になった栃木おやこ劇場(栃木市内の居場所)はそんな場でした。
会員歴18年・・・私には程よい距離のママ友仲間ができ、息子にとっては学校以外の幼馴染ができた場所です。今は青年会員で自分の経験を伝えながら楽しんでいるようです。
中3の夏にはロボットを作る夢を持って〇〇(高専)に見学に行き、毎朝登校は無理と自分で受験を断念しました。一浪するか迷いましたが通信制にも見学に行き、ここに行くと自分で決めました。
そして秋に[異才発掘プロジェクト・ROCKET]という東大先端研(東京大学 先端科学技術研究センターの略称)の軽井沢キャンプ『昆虫食』に参加しました。様々な理由で集まった親子は、
「不登校だからこそ平日参加できる!! 君たちはラッキーだよ」
と言う教授の笑顔で迎えられました。
ここでの3日間は教授をはじめとするプロの指導を親子で経験し、親子それぞれが別室で過ごした自立への第一歩となる合宿でした。
「親は失敗していいんだよ。未熟でいいんだよ。先生はプロなんだから頼って良いんだよ。」
の言葉に、「頼れる先生がいた!!」と涙、涙でした。
「ユニークな子どもと親」に生きる力を与えてくれた奇跡の時間は、その後もしばらくLINEで繋がっていました。
2018年には市との連携事業で館林 ROCKET が始動し、「新しい学びの場所と自由な学びのスタイル」が確立され、今も活動が続いています。また各地の自治体・企業との連携も広がっています。栃木市でも講演がありました。
ROCKET も色々あり、今は LEARN と名前も変わりましたが、中邑教授の思いは変わらず子どもたちに注がれています。
「教科書ではなく、体験しながら、活動しながら、社会とつながる。学びは日常にある。」
当時のスローガンです。
また親のためには「未来の子育てを一緒に考えていく場所『CO+(コープラス)』という子育て
対談と持ち寄りランチ会もコロナ前にありました。
ここでも話す(思いを打ち明けて心に溜めない)って大事だなと気付かせて頂きました。現在は保護者向けプログラムがあるようです。
私は今も LEARN のオンラインでの講演会などは参加しています。登録するといろいろな情
報がもらえるので、ぜひ登録してみてほしいです。
そんな中で、今の自分は少し楽になってきてるかな?余裕が出てきたのかな?と感じられるよ
うになったのは息子の発症から 4 年目(高校 2 年)あたりからでした。一山超えたら景色が違
って見えた・・そんな感じがしました。私自身が変われたのだと思います。
次男が一安心となった頃、予想外の出来事が起きました。
コロナ禍でじわじわと苦しめられた 2021 年、鳥取の大学で一人暮らしの長男(HSP 気質)が鬱病となり、大学 4 年の後期に休学し栃木に戻り療養、1 年半後復学し卒業したのが今年 2024 年 3 月でした。
卒論担当教授の愛情深い援助があっての卒業でした。次男との経験が私の軸となり、今も通院しながらゆっくり回復するのを見守ることができています。
長男は小 6 の時、胸郭変形症を患い、肋軟骨 10 本切除という手術をしています。まだ鳥取で一人でいた時、苦しくて死にたくなった時、オペする直前の緊張と恐怖が思い出されあれよりはまだマシだ・・・と思ったそうです。
「あの体験がなかったら死んでたかも・・・」と最近話してくれました。苦しかった事が支えになること、生きてくれてることにただただそれだけでいいと思うのです。そして客観的に自分を見られるようになった長男(現在20歳代)は回復してるということも感じます。
今はあるNPO法人の活動に時々参加して、自然に触れ、自分も役に立てている喜びを感じています。私は息子の今できること・・一日一つでも些細なことでも出来たらよかったねと声掛けをします。
あとは休むこと、眠れることが何より大切です。
鬱病は何も出来ない自分を責めます。
社会の役に立ちたい思いはあるけど、気力体力が出ない。
それは不登校の子もみんなそうです。できなくてもいい。時期が来るまで動き出すのを待ってあげられれば、子どもが一番したい事ができる日が来る。今は思うようにできなくて辛いけど、心と体が整いだしたら必ず一歩踏み出すと思うので、「ゆっくり見てるよ〜」と信じて待つことを続けています。
3 月 3 日のこどもワカモノフェスタ(宇都宮市内で開催された不登校イベント)で講演された、ワラタネスクエア(岩手県にあるひきこもり居場所サポート事業所)の後藤誠子さんの言葉に『優しく諦める』とありました。
捉え方は人それぞれかと思いますが、「諦める」の語源は「明らむ=明らかに真実を見る」という意味があります。ありのままに見る、知る、受け入れる・・・
それは繰り返し息子達が見せてくれたことでした。
だからこそ響く言葉でした。
そして後藤さんの息子さんは不登校や引きこもりについて支援しようと思う方々は
「【知ろうとする意識】を持って欲しい」と話していました。
何事も意識して見ることで見えてくるものがある。
私も支援者という立場になるのなら、そこを大切にしていきたいと思います。
記事協力:コドモノミカタねっとわーく
手記を募集しています
最後までご覧いただき、ありがとうございます。
どのように感じられたでしょうか。
みなさんの中に、子どもの不登校に悩む全国の保護者の方へメッセージを届けたいという方はいませんか?
よければ、力を貸してください。
一番つらいのはひとりぼっちでいるとき。
身近に誰も味方がいないとき。
誰も理解してくれる人がいないとき。
でもそんな状況でも、こうした全国の経験者がメッセージを届けてくれたら。
それはひとりぼっちの”そのひと”にとって、大きな大きな希望になると思います。
我慢していた涙を流すことができるかもしれません。
「もう少しやってみよう」と一歩踏み出すきっかけになるかもしれません。
「わたし、よく頑張ったよね」と自分を許すことができるかもしれません。
子どもの表情に目を向けることができるようになるかもしれません。
ぜひみなさんの力を貸してください。
かっこいい文章を書こうと思わなくていいんです。
素敵な文章を書こうと思わなくていいんです。
ありのままの、等身大のあなたの言葉を、ぜひ届けてください。
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