子どもが学校に行かなくなり、それが日常になってきたものの、ふと「このままでいいんだろうか」と不安になる。そんな思いを抱えている保護者の方は、少なくないのではないでしょうか。
本記事は、デンマークの専門職である「ペダゴー」から、親としてのあり方や子どもへのかかわり方を学びます。
デンマークは世界幸福度ランキングが常に上位の国。その社会のなかで、ペダゴーは子どもの育ちや生活、ウェルビーイングを支える専門職として重要な役割を担っています。
※ウェルビーイングとは、生活の質や、人生の意味・目的、社会とのつながりなどを含めた、心身のより良い状態のこと。 (参考:WHO「Promoting well-being」)
今回は、ペダゴーの育成と普及活動に取り組む、一般社団法人ペダゴージャパンの代表理事である工藤敬子さんにお話を伺いました。実は、工藤さん自身もお子さんが不登校の時期がありました。ですが、工藤さんは「学校に行けない時期があったとしても、それだけでその子の人生や将来が決まるわけではない」と考えていたといいます。
本記事は前編・後編の2回に分けてお届けします。
前編では、工藤さんがペダゴーに注目された背景から、ペダゴーが大切にしている考え方や価値観を紐解きます。後編では、ペダゴーの考え方をもとに、具体的な不登校の子どもとのかかわり方を学びます。
娘の不登校で気づかされた、世間との捉え方の違い

――工藤さんがペダゴージャパンを立ち上げられたのは、娘さんの不登校がきっかけだったそうですね。
工藤さん:そうなんです。娘が高校1年生の頃、急に学校へ行けなくなりました。当時、私は不登校になる子について、繊細さがあったり、人とのかかわりに難しさを抱えていたりするというような、限られたイメージを持っていました。ところが、勉強もきらいじゃないし、友達もいる、一見学校生活に何ら支障がないように見えていた娘が、突然学校に行けなくなったんです。とても驚きました。ただ、私は娘が学校に行けないこと自体については、それほど心配していませんでした。
――工藤さん自身は娘さんが学校を休むことをすぐに受け入れられたんですね。
工藤さん:私自身が、高校に入るために1年浪人をした経験があったので、1年ぐらい学校に行けなくても、長い人生では大きな問題ではないと思っていました。ところが周りの反応は違ったんです。ママ友からは「娘さん大丈夫?もしうちの子が学校に行けなくなったら、私の頭がおかしくなっちゃう」と言われて。そこで不登校に対する世間の捉え方を知りました。また、学校の先生からは「病院で診断書をもらってきてください」と言われました。私は少し驚きましたが、言われた通り診断書を学校へ提出しました。後々、診断書があると「不登校」ではなく「病欠」として扱われることを知りました。その経験を通して、不登校という出来事が、本人や家庭だけの問題として扱われているのではないかという違和感を持つようになりました。
――不登校に対する周囲の反応や学校の対応によって、個人レベルではなく社会の問題だと思われたと。
工藤さん:私は娘が不登校になった後、県の教育委員を務めました。そこで目にしたのが、不登校だけではなく、教員のメンタルヘルス不調による休職者数の増加です。年々増える数字を目の当たりにし、「子どもも先生も幸せを感じられない学校とは何なのだろう」と疑問を抱くようになりました。そうした経験を通して、子どもの不登校と教員のメンタルヘルスという二つの課題は、それぞれ別の問題として捉えるだけではなく、学校という環境全体から考えていく必要があると強く感じたのです。
デンマークで出会った「ペダゴー」という存在

――その二つの課題を考えていくなかで出会ったのが、デンマークの専門職である「ペダゴー」だったんですね。
工藤さん:そうなんです。私はまず幸福度の高い国々の教育に注目しました。その中でデンマークは教育や福祉のあり方に特徴があることを知りました。初めてデンマークの小学校を訪れた際、先生のほかに「ペダゴー」と呼ばれる人がいました。教員と連携しながら子どもたちの日常に寄り添うその姿を見て、「日本に必要なのは、まさにこれだ」と思いました。
――「ペダゴー」は日本であまり耳慣れないですね。
工藤さん:ペダゴーは、デンマークで広く社会を支えている専門職の一つです。養成課程では、主に0〜5歳の子どもにかかわる「デイケア」、学校や放課後の場で6〜18歳の子ども・若者にかかわる「学校・余暇」、障害のある人や社会的な困難を抱える人などにかかわる「社会・特別支援」という3つの専門領域があります。私が主催している講座では、主に子どもにかかわる領域を中心に、ペダゴーの理念や実践を学んでいます。
――教員とどう違うのでしょうか。
工藤さん:教員とペダゴーは、それぞれ異なる専門性を持ちながら、連携して子どもを支えています。教員は主に教科の学びや知識・技能の習得を支える専門職です。一方でペダゴーは、子どもの日常生活により近いところで、「Being with(共にあること)」を大切にしながらかかわります。授業や休み時間、学童保育など、子どもの日常の中で、その子が安心して過ごせることや、人とのかかわり、自分らしく育っていくことを支えます。特に、遊びをとても大切にしています。遊びは、何かを身につけるための手段というだけではなく、子どもが夢中になり、自分を表現し、人とかかわっていく大切な時間として捉えられています。
一見すると、ペダゴーは子どもと遊んだりお世話をしているだけのように見えます。けれど、そうした日常の何気ないかかわりの一つひとつにも、専門的な視点や判断があります。
――どういった視点があるのでしょうか。
工藤さん:大切にされていることの一つが、子どもを一人の人間として尊重することです。日本では、子どもはまだ経験や知識が少ないから、大人が教え、導くものだと捉える場面も多いと思います。一方デンマークでは、子どもがどんなに小さくても、決して欠けた存在でも不完全なものでもなく、今を生きる一人の人間であり、社会を共にする大切な一員だという認識があります。だからこそ、子どもの声をちゃんと聞くんです。
私が驚いたのは、給食のハンバーガーを配食する場面でした。「どのパンにする?」「パンはどのくらいの大きさにする?」「レタスは挟む?」「きゅうりは?」と、子ども一人ひとりに聞いていくのです。
――気が遠くなるようなやり取りですね。
工藤さん:そうですよね。日本の給食であれば、全員が同じものを同じように食べるのが一般的です。管理する側からすれば、その方が効率的でしょう。しかし、私がデンマークで見てきた現場では、「子ども自身が選ぶこと」に価値が置かれていました。「どのパンを選ぶか」「野菜を入れるか」といった小さな選択も、子どもの意思として尊重されるのです。
自分にかかわることについて、自分の意見を持ち、それを聞いてもらうことは、子どもの大切な権利の一つです。ペダゴーのかかわりにも、子どもを一人の権利の主体として尊重する姿勢があります。
学校の運営について話し合う場にも、子どもたちが参加します。予算内でどんな遊具を買うかなど、意思決定の場に参加します。子どもが参加するので、資料なども子どもにも分かる言葉で用意し、意見を聞きながら決めていくのです。
――当事者である子どもの意見がきちんと反映される仕組みになっているんですね。
工藤さん:デンマークに行って感じたのは、民主主義が特別なものではなく、日々の生活の中にあるということです。子どもも、自分にかかわることについて意見を聞いてもらい、周りの人と話し合いながら一緒に決めていく。そういうことが日常の中で繰り返されています。
民主主義は、多数決で決めることだけではないんですよね。たとえ一人だけ反対する人がいても、その人の意見を置き去りにせず、どうしたら一緒にやっていけるのかを話し合っていく。そうした民主主義のあり方が、生活の中に根付いています。それは、ペダゴーの子どもとのかかわり方にも表れていると思います。
「子どもの意見を聞くこと」と「子どもの言いなりになること」の違い
――ペダゴーが実践する子どもとのかかわりは、子どもの意見を尊重することだと伺いました。「子どもの言いなりになる」のとはどう違うのでしょうか。
工藤さん:私がデンマークで印象に残ったのは、子どもが「NO」「嫌だ」と言うことも、とても大切にされていたことです。子どもが嫌だと言ったときに、その言葉をすぐに押さえ込むのではなく、「どうして嫌なの?」「どうしたらいいと思う?」と対話を重ねていくんです。

いいなりになるわけではないのです。デンマークでは子どもの気持ちを大切にしながら、同時に、みんなで生活していくためにはどうしたらいいかも一緒に考えていきます。どういうふうに折り合いをつけようか、ルールをどうしていこうかを、対話しながら、お互いが納得できるところを探していく。そこには、対話には時間がかかるものだという感覚があるように思います。
先ほどのハンバーガーの例ですと、「何を食べるか」は子ども自身が選ぶ。でも同時に、自分で選んだことについて一緒に考える。子どもの意思を尊重することと、共同生活の中でルールを考えること、その両方を大切にしているんです。
――なるほど。言いなりではなく、子どもの意見を尊重しながらも、同時に社会の一員としての責任やルールも伝えていく。その両方を対話の中で実践しているのですね。
工藤さん:そうなんです。以前、デンマークのペダゴーから「私たちは王様や女王様を育てているようなものだから大変なんだ」と聞いたことがあります。一人ひとりの意見を聞きながら一緒に決めていくのは、当然時間もかかります。でも、そのプロセスそのものを大切にしているんですよね。
自分のことについて自分の意見を持ち、その声を聞いてもらえる。そうした経験の積み重ねは、自分の人生を自分で生きているという感覚にもつながっているのではないかと思います。

子どもの声を聞き、対話しながら一緒に考えていく。そうした日々の積み重ねの中に、デンマークで大切にされている民主主義のあり方が表れているのかもしれません。
後編では、ペダゴーの考え方の中核にある「Being with(共にある)」というかかわり方と、不登校の子を持つ親が日常の中で実践できるヒント、そして親自身が変わっていくことの意味について、さらに詳しく見ていきます。












